20年ぶりにバイクを買う予定
大学1年の時に中型のバイクを買ったのが始まり。(親の大反対を押し切って)
大学4年の時に限定解除。練習所に通っていて、そこのコースが鮫洲と同じだったので、内緒で住民票を友達が住んでる品川区に移した。
運の悪い事に、生命保険の手続きだかなんだかで、母親が役場に私の住民票を取りに行ったら、職員さんから『息子さんは引っ越しています』ってな感じで、非常に気まずかった記憶がある。
30歳位までバイクに乗ってた。車を買うことを決めた時、バイクを売った。
あれから20年。改めてバイクに乗れる環境が整った(と思う)。売り主は、近所の友達のお兄さん、
1000cc。ちと、自信ないけど、CB750やGSXR750を乗っていた経験があるので、仲良く付き合っていきたい。
ずーっと、仕事漬けだった20年。改めて、新しい世界を感じたい。
- *[今日の感謝]
ここ数ヶ月、冷戦状態だった二男との関係。ダメ父ながら毎日が残念な日々だった。
行動を起こしてくれたのは、妻と長男。その時、3人とも涙涙だったらしい。
二男も私との関係をずっと気にしていたとを知った。
久々に会話をした。
二男から私にいくつかの質問があった。自分の想いを正直に伝えた。
ようやく、従来の生活に戻った。
嬉しかったのは、二男も「家族」を大切に考えていてくれていたことを確認できたこと。
かなり凹んでいた気持ちが、一気に吹き飛んだ。
不安定な気持ち
8月から(自分なりりに)必死こいてSpec書いてきた。
夢を描いたBOP(要件定義)をベースに「できること」「できないこと」「実現するための難易度」を明確にするために、技術的な検証を行いながら書いてきた。
「もっと優秀なエンジニアなら費やす時間は圧倒的に少ないんだろうなあ」って自己嫌悪な日々を過ごしてきた。
なんとか書き上げられそうなタイミングで、グローバル企業であるクライアント様(IT側)から、「日本が勝手に決めた仕様はNG。香港のアーキテクト様と連携の上、Specを固めろ」との通達。
それに怒った実際に使用するユーザー側。IT vs UserのAPAC圏でのバトル勃発。
このプロジェクトは、どこに着地するんだろう。。。
俺は、何ができるんだろう。。。クライアントの結論に従うしかない。。。
どんな展開になろうと、最適なサービスを提案できるエンジニアになりたいなあ。。。
51歳になります。
あと数時間で51歳になります。口にはしたくないけど、無理をすると翌日以降に反動が来てしまう年齢になってしまいました。うちの会社は(今のところ)定年は60歳なので、いよいよ残されたサラリーマン人生は9年になってしまいました。
「俺って何をしたいんだろう。。。」ずっと思い続け、答えがでないまま今日に至ってしまいました。
そろそろ(遅いかっ!)、自分なりの価値観とやり遂げたいことを明確にしなくちゃ。
【俺の強み】
1. Cloud Computingに従事している。
2. 下手くそながら、英語でコミュニケーションができる。
3. 我流(多少は書籍を読んで実践したりしてますが)のPMも何とかできる。
4. クライアント様と良好な関係を築くことができる。
まあ、そんなもんかな。じゃあ、それらに対する満足度とか足りないことは?
1. Cloud Computingに従事している。
SFDCの勢いに乗っかって良い感じ。でも、所詮(自分にとっては)Webアプリケーション基盤(PAAS)。世の中の(主にJSのフレームワークやライブラリ)Web知識に疎すぎる。
2. 下手くそながら、英語でコミュニケーションができる。
本当にコミュニケーションができているのか?相手の本当の想いを理解したり、自分の本当の想いを伝えることができているのか?
3. 我流(多少は書籍を読んで実践したりしてますが)のPMも何とかできる。
書籍に書いてあったことを実践して、成果を挙げたことがあるか?
4. クライアント様と良好な関係を築くことができる。
クライアント様から信頼を得ているか?
ということで、不満足ばかり。ここ数年、大した成長はなかった。
じゃあ、どうする???
1. Cloud Computingに従事している。
1) 遅ればせながら、(少なくとも)話題となっているJS系は触っておく。
2) 1つだけでもいいので、SFDCの新たな資格を取得する。
2. 下手くそながら、英語でコミュニケーションができる。
4, 5年前から停滞しているTOEICの点数を(日本でいうところの)ビジネスレベルにする。
3. 我流のPMも何とかできる。
1年で「あれもこれも」は無理なので放置。
4. クライアント様と良好な関係を築くことができる。
来年の今も現在のクライアント様のお仕事をしている。自分にとって、これ以上のないお客様だと思うから。。。
結局、俺が目指しているものは。。。「IT業界の便利屋さん」なのかなww
■
- 私はどの程度幸せか。
自分の力を考えたら90%以上だと思う。(次回からは、自分の力を考慮しないで考えた方がいいかも…)
- 私はどの程度リラックスしているか。
ずーっと、張り詰めてる(つもり)。でも、ありがたい事に、とっても良いクライアント様なので、テンパってはいない。
- 私は自分のチームにポジティブな影響を与えているか。
分からん。唯一の日本人なので、警戒してる人間はいると思う。
- 私はどの程度良いアイデアを思いついているか。
分からないことは、分かりそうな人に直ぐ質問。ちょっとでも気持ちに余裕が持てるよう、本日も5h程お仕事。今は、アイディアなし。でも、気持ちに余裕が生まれれば、良いアイディアが生まれる…と信じる。
また喧嘩しなくちゃいけないのかなあ…
転職して2つ目のプロジェクト。今度は、グローバル生保様。
要件定義は、SFDCお得意のプロトタイプを使って進めた。うまくいった(ように感じた)。しかし、社内に持ち帰って見積りディスカッションに入ると、メンバー(私以外は全員インド人)から非難の嵐(ー ー;)
俺にもfaultはある。改善に努力する。でも…
あいつらに、改善する気持ちはあるのだろうか?せめて、日本で働いている連中。
喧嘩したくない。
グローバル企業に入って良かったと感じたい。
お客様の笑顔を見たい。
あいつら、そんなこと考えてるんだろうか?
多分…俺が彼らを「あいつら」と言っているうちは無理なんだろうなあ…
永山へ
永山、亡くなって3年だね。
昨日、小坂井と野口と追悼飲み会して、今日、陽子ちゃんと電話で話をしたよ。
陽子ちゃん、相変わらず、とっても明るかった。去年話せなかったから2年振りで、積もる話で30分位話したよ。
長男君、慶応の2年生なんだってね。すごいわ。しかも、東大目指してたから、納得してなさそうで。。。慶応で十分でしょ。なあ、俺たち芝浦工大生と比較したらね(^_^)
次男君も桐蔭学園に入学おめでとう!さすが、永山の息子達だわ。
俺の子供達も日大 文理の4年生と埼大 経済学部の1年生になったよ。永山も子供達の頑張っている姿を見たり、相談相手になりたかっただろう。でもさ、素晴らしい子供達だね。永山と陽子ちゃんの育て方が良かったんだね。
この時期になると、自分が今、生きていることに感謝するようになった。それを気付かせてくれたのは、永山だよ。生きていることに感謝して、俺、頑張るわ。
P.S. 最近、久々にバイク乗ろうと思ってる。学生時代、一緒にいろんなところに行ったね。赤城山の直線で抜かれて、次のコーナーで永山がこけたのを強烈に覚えてる。ちとウェットだったね。あの時は、事故にならなくてよかった。でも結局。。。
転職後、1st1 プロジェクトを終えて
昨年、9月下旬にアメリカ本社のインド系ITコンサル会社に」入社。
もともと予定されていたプロジェクトがフリーズとなり、少々の提案活動はあったものの、しばらく待機。
入社して、2ヶ月が経とうとした頃、あるグローバル製薬メーカー様のプロジェクトにアサインされた。未だ未熟ながらも、salesforceの技術者として採用されていた。そのせいか、VeevaなるForce.com上で動作するアプリケーションのインプリ・カスタマイズプロジェクトだった。
いくら、salesfoce技術者といっても、製薬業界に特化したアプリケーションは初めてだし、クライアント様は、Veevaのスペシャリストを期待していた。初日に正直にVeevaの経験がないことをクライアント様に伝えた。クライアント様からの強い要求で、Veevaのトレーニングに参加し、Certifificationも取得。
プロジェクトの背景もよく分からないまま、プロジェクトスタート。このプロジェクトは、40ヶ国にあるクライアント様の全拠点に展開するプロジェクトらしいことが分かった。私は、日本のCountry Managerといっても、日本の担当は、私一人。「とにかく、Japanのために頑張ろう!!」と意気込んでスタートした。
最初の2ヶ月位は、APACを管理するシンガポールや開発拠点のインドのメンバーと衝突の日々。。。Japanのお客様でさえ、「なぜ自分達の要求が通らない」のか困惑。数ヶ月経って、ようやく「これはグローバルプロジェクトなので日本特有の要件は、受け入れられらい」ことが、ようやく判明。。。その間、私には、インドの上層部から「技術的なことに口を出すな」的な電話やメール。。。
スタート時点から食い違いがあったのだ。それを私を含め、Japanチームは誰一人知らされていなかった。しかし、さすが外資で働く皆様。事情が分かると、どこまで希望が叶えられて、どこからNGなのかを探るようになった。
そして、なんとか来週の月曜日にGo-Liveが決まった。私の任務はここまで。今日は、クライアント様と最後のミーティング。最後に思いがけずプレゼントをいただいた。感無量。。。慣れない役回りで、全然貢献できていないと反省の毎日だったのに。。。
このプロジェクトで学んだこと。
● ちょっとだけ英語で喧嘩できるようになった。
● やっぱ、Off-Shoreビジネスは難しい。
● インドの人は、自社とクライアントを明確に切り分けたがる。(私のようにお客様と仲良くなって、融通を聞かせるように仕向けるような姑息なことをしたがらない。)
● 黙って待ってたら、勝手に思い込みでガンガン作ってしまって、「これを使え」と言う。
● 日本人は優しいけど、仕事的には、最も面倒臭い国だと思っている。
● 日本人は、英語が下手くそすぎると思っている。
● 日本人は、ちょこちょこ変更要求を出すので面倒臭いと思っている。(要件定義で確定したことまで覆す。)
まあ、そんなところかな。今後もそんな面子と仕事をしていかなければいけない。英語、そして技術。彼らに馬鹿にされないように、これからも日々精進!!
今回のプロジェクトは寛大なクライアント様のおかげで、かたち上、成功。(納得いかないけど。。。)
もっともっと、自分を高めてクライアント様が本当に喜ぶ姿を見たい。